カッパドキアからイスタンブールまでは空路(ターキッシュエアラインズ)で1時間半でした 

イスタンブール                       
トルコ最大の都市(人口1117万人) 1500年の都 イスタンブールは 長さ30㎞のボスポラス海峡
でヨーロッパとアジアに分かれている。 ヨーロッパ側にある、金角湾とマルマラ海や城壁で囲まれた
地域が旧市街。トプカプ宮殿やアヤソフィアなど歴史的建造物が並ぶ。               
                                                  世界遺産
 
グランド・バザール→迷路のような路地に金銀細工、宝石、絨毯、ガラスや革製品、陶磁器等5000もの店がある



15世紀にコンスタンティノーブルを征服したメフト2世により建設が始まった巨大バザール



日本・トルコ交流の結晶である 第2ボスポラス橋が見える、イスタンブールの丘にて

ファティフ・メフメット大橋(第2ボスポラス橋)日本の円借款で日本の技術で1988年完成

イスタンブール歴史地区

ブルーモスク (スルタンアフメット・ジャーミィ) 。
1985年に世界遺産に登録された「スルタンアフメット・ジャーミィ」はトルコ国内最大都市イス
タンブールの旧市街、世界遺産歴史地区の中心エリアにあります。 「ブルー・モスク」の名で
親しまれるトルコを代表するこの寺院は、オスマン帝国時代1616年に建造されたものです。

外観の特徴は計6本ある尖塔。モスクの尖塔は4本までしかいけないが金の尖塔を作れと命じられ
設計者が6本と聞き間違え6本にしてしまったとか 世界中で尖塔が6本あるのはブルーモスクだけ

 
直径5mの円柱の柱が4本あり高い天井の中心には約43mあるドームそのまわりに4つのドーム、その外側
には半ドームが沢山。ドームや壁にある窓にはステンドグラス。天井や壁に青い柄のタイルが貼られている


直径27.5mもの大ドームを中心に4つの副ドームと30の小ドームから成り立ち、大
理石とタイルで作られた外観は、圧倒されるほど厳格な重厚感を醸しだしています


 
モスクでの礼拝は1日5回。  一面にチューリップの模様が織り込まれた絨毯の上で行われる


  
スルタンアフメット・ジャーミィは旧市街の観光中心、壮大な姿はイスタンブールの象徴でもある



モスク内のドームには、260余りもの窓があり、どの窓にもステンドグラスの装
飾がなされ、2万枚以上の青を主体としたイズニックタイルで覆われています

ブルーのサークルや帯の上には、金色のアラビア文字で、神の言葉の威厳を伝える書が
描かれ、色鮮やかな植物の模様は、生命力を伝える象徴として表現されているそうです。



イスタンブールはローマ、ビサンツ帝国にオスマン朝、合わせて122人の最高権力者が手にした街。
その間ざっと1500年。 日本では弥生時代から大正時代にあたる由
、如何に歴史ある地区かが・・
ガラタ橋→金角湾に架かり旧市街と新市街を結ぶ2層式の橋    イスタンブールには3日間滞在


  
ルメリ・ヒルサ→1452年にコンスタティノーブル戦に備えて造られた要塞   ボスポラス海峡クルーズ乗りました


  
 
ドルマバフチェ宮殿 船旅で寄港した時写した写真ですオルタキョイ・ジャーミィとその頭上をゆくポスポラス大橋



鮮やかな色彩のトルコを代表するイズニックタイル
    
瑠璃色の深い青、ターコイズブルー、エメラルドグリーン、鮮明な赤。 オスマントルコ時代のイスラム建築の宮殿
やモスク等の建築を彩るためにタイルや皿、ボウル、花瓶、ランプや燭台に至るまでの注文を一手に引き受けた

リュステム・パジャ・ジャーミィ→全面にイズニックタイルを張り巡らせた内部はオスマン建築美術の傑作のひとつ


アヤソフィア       

ビザンチン帝国時代の360年、コンスタンティヌス2世により、キリスト教の聖堂
として建てられた。 オスマン帝国が征服した後はイスラム教のモスクとなった



直径約33m、高さ約56m のドーム内の数々のモザイク画は500年間、漆喰で塗
りつぶされていたが、トルコ共和国時代に入ってからの修理で昔の姿を取り戻した

  
     ドーム内のモザイク      地球一周の船旅でイスタンブール寄港時に撮影した写真です



元々キリスト教の聖堂ということでイタリアやフランスで見てきた聖堂とも雰囲気が
似ている いくつもの照明と部屋を囲むように設置されてる巨大な円盤が印象的



      幼いイエスを膝に抱くマリア像   写真は船旅で寄港時撮ったものです


4本の尖塔は、別々のスルタンによって建立された為デザインが異なる。内部のイズニック・タイルは2万1000枚



 「神の知恵」を意味するという大聖堂・アヤソフィア  大ドームの神秘的な空間


  地下宮殿                    地球一周の船旅で寄港した時の写真です
6世紀 ビザンチン帝国の皇帝ユニティアヌス1世時代に造られオスマン帝国時代まで利用された地下貯水施設

 
全体は縦140m 横70m 高さ8m   約20㎞離れた森から引きヴァレンス水道橋をへ 約8万㎡貯水


 
地下宮殿の一番奥にはメドーサの顔が2体横たわる     水はヴァレンス水道橋からここへ引かれた 




美術博物館では19世紀までのイスラム圏の伝統的な美術工芸品観賞しました


ヒポドローム→ローマ時代の330年に完成した古代競技場の跡       で 博物館がとても多い  。


   ビザンツ帝国、オスマン帝国合わせて1500年もの間、都として繁栄してきた     ヴァレンス水道橋       


   トプカプ宮殿     歴代スルタンによる世界有数のコレクションを誇る     。

右側にあるチケット売り場で入場券を買ったら、この送迎門をくぐる


  
トプカプ宮殿は15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設し、歴代の
スルタン(オスマン帝国の皇帝)が増築しながら約400年にわたって居城とした。



オスマン朝の中心地 敷地内には議会やスルタンの居室はもとより、側室の女性たちの部屋
も備えたハレムもある。 現在陶磁器のコレクションが置かれている部屋が、かっての厨房。


  
ダイヤなどの宝石類が並ぶ何百もの小部屋、広場などからなるハレムは見もの



トプカプ宮殿はオスマン朝の支配者の居城として400年もの間、政治や文化の中心であった


 
3大陸を制覇したスルタンの栄華を今に伝える  地球一周の船旅でイスタンブール寄港時に撮影した写真



 オスマン朝時代になってから一度も侵略を受けてない為秘宝が残る



広大な敷地内は4つの庭園エリアに分かれ、現在は博物館となっている


アガサ・クリスティによって1934年に発表された小説「オリエント急行殺人事件」に出てくる 旧イスタンブール駅

 
併設レストランで、カルニヤルクを食べました      オリエントエクスプレスの終着駅を改装した駅舎



 
日本・トルコの交流の結晶 海底トンネル鉄道に乗車    民族舞踊やベリーダンスを楽しみました 



天候に恵まれ(雨天は1日、あとは快晴でそんなに寒くなく)又添乗員と現地ガイドの方のツアーメンバー
への気使い心配りもいき届き イヤフォンガイドで聞く見どころ説明は聞きとりやすかったです。見知らぬ
メンバー同士も良くお喋りをするなど良い雰囲気で過ごせ、又皆さんマナーが良く楽しく旅ができました。
また良い思い出が増えました。
                                       
                                   平成27年 1月