1560年に駿河・遠江・三河を制する今川義元軍が尾張国に攻め入りました。
織田軍の軍勢約三千に対して今川軍は約2万五千の大軍で攻めあがってきます。
松平元康(徳川家康)を先鋒にした今川軍は織田軍の砦を攻め落としていきました。
不利な状況のなかでも織田信長は冷静で、幸若舞「敦盛」を舞い、熱田神宮に参拝。
善照寺砦で軍勢を整え今川軍の陣中に強襲をかけ見事今川義元を討ち取りました。
桶狭間の戦いにより、今川義元を失った今川氏は衰え始め、支配していた三河国
の徳川家も独立して、甲斐国の武田信玄や駿河国の今川氏真らと対抗していました。
また織田信長も斉藤道三の死後は、美濃国の斉藤氏との関係は悪くなっており、
織田信長と徳川家康の両者の利害が一致して組まれたのが清州同盟です。
|