東山北部から祇園より東山南部へ、醍醐から洛南を経て嵐山・嵯峨野、洛西、
洛中・洛北 へと京都をぐるり時計廻りに巡りました。 写真もそのように掲載。




嵐山・嵯峨野地区                     ・
  
野宮神社・・・縁結びの神社として「源氏物語」にも登場する有名な神社


 
芭蕉や遊佐蕪村が俳句を詠んだ。 苔が美しかったです



伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が身を清めるためにこもった社





常寂光寺・・・1595年に日慎上人が開創された寺

  

白壁に茅葺屋根の珍しい造りの仁王門がシンボルで、両脇に運慶の作と伝わる仁王像がある


常寂光寺よりの展望  


  



  

落柿舎・・芭蕉の門人・向井去来の庵。入口に吊るされた蓑と笠は彼の在宅を伝える目印だったもの



       二尊院・・本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため二尊院と呼びます
  

総門・・・伏見城の薬医門を1613年に移築したもの

  

本堂「二尊院」の後奈良天皇勅額

 

本堂は京都御所の紫宸殿を模して造られた

 



祇王寺・・・平清盛の寵愛を受けた白拍子 祇王が仏御前にその座を奪われ、
     出家し母・妹と念仏三昧の日々を送った「平家物語」ゆかりの寺


  

静寂に包まれる境内   ビロードのような苔が一面を被っていました

  

竹林と楓に包まれた苔の庭に茅葺きの草庵が佇む

  

静かな庭の一角に祇王と妹の墓と、平清盛塔といわれる石塔が佇む


化野念仏寺・・化野はかっての風葬の地。無縁仏を弔うために
         弘法大師が建てた五智山如来寺」が始まり。


  

約8000基もの石塔や石仏が並ぶ。中央に十三重塔と釈迦坐像を祀る

  
  
本尊阿弥陀仏坐像は湛慶の作  
     化野(あだしの)念仏寺の竹の小路

  

六面六体地蔵

  

竹林の小路は良く手入れされてます           みず子地蔵尊    。

                                                  京都の北西
大覚寺・・嵯峨御所とも呼ばれた、我が国有数の門跡寺院。嵯峨天皇の元
       離宮で、弘法大師も招かれて鎮護国家の秘法を伝授したとか。


風格ある式台玄関  


  
        唐門     勅封心経殿・・嵯峨天皇はじめ六天皇の写経が奉納されています


  

五大堂・・嵯峨天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈念して建てられ、大覚寺の本堂

  

大覚寺辰殿 牡丹の間  狩野山楽筆(桃山時代)

  

大覚寺縁起・・・大覚寺の正式名称は 旧嵯峨御所大覚寺門跡 といい
            心経写経の根本道場・いけばな嵯峨流の総司所です。


  

御影堂・・・嵯峨天皇・後宇多法皇・恒寂入道親王・弘法大師の尊像を祀る

  

門跡寺院とは、天皇または皇族が住職に就かれた寺院。  大覚寺は嵯峨天皇の孫にあたる
恒寂入道親王が初代の住職。南北朝時代には南朝の御所となり、ここで媾和会議が開かれた



嵯峨釈迦堂 清涼寺・・・光源氏のモデルといわれる左大臣源融の山荘跡
                に895年に阿弥陀堂を建立したのが始まり。

 
 仁王門                      本堂(釈迦堂) 


  

嵯峨 釈迦堂・・・間口14間 奥行13間 等身大の釈迦像が安置されている

 

狂言堂・・・毎年4月の大念佛会に、円覚上人が庶民に教義を説くため作られたと言われる
              嵯峨大念佛狂言が演じられる。平成23年4月3日に狂言見物しました

 
   弁天堂                      多宝塔




金閣寺・・・足利3代将軍義満が築いた北山殿が始まりで、後に禅寺になった。正式名は鹿苑
          寺だが宝形造りの二・三層に金箔が貼られた金閣にちなんでこの名が付いた


世界遺産

金閣は寝殿造り・武家造り・禅宗仏殿造りの三層が見事に調和する
  



  
        龍門滝と鯉魚石         義満がお茶の水に使ったと伝わる 銀河泉   


   
白蛇の塚                      ・


  

夕佳亭・・夕日映える金閣が殊に佳いと言うことから名付けられた茶席      不動堂   



等持院・・・・京都市北区にある臨済宗天龍寺派の寺院。山号は万年山
         足利尊氏が1341年に創建し後に足利将軍家の菩提寺となる

  

等持院は水上勉の小説、「鴈の寺」の舞台となった寺でもある

  

霊光殿→本尊の地蔵菩薩像の他、足利歴代の将軍、徳川家康の木像がある  茶室清漣亭



暦応4年(1341)年足利尊氏が等持寺の別院として夢窓国師を開山として創建。
尊氏の死後、その墓所となり、等持院と改めた。庭園は東西に分かれ、西の庭は
芙容池と称し衣笠山を借景にした池泉回遊式であり北側に義政公好みの茶室清
漣亭がある。
西庭は芙蓉池を中心に広がる池泉回遊式の庭園。夢窓国師の作

  

祖師像                           。

  

この灯篭は等持院形として有名                            


龍安寺・・・・・室町中期に細川勝元が創建。虎の子渡しの庭が有名

  
                              禅宗寺院建築の簡素にして重厚な庫裡




白砂に15個の石を配した枯山水の石庭は、どこから見ても
14個しか数えられないため「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる



禅では自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し
その自覚を通して出てくるものは、山川草木尽く神、仏であるとするが、こ
の庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間 空間
を越えて、静かに心眼をひらき 自問、自答するに相応しい庭といえよう。

  

石の象、石群、その集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学
的に見る人の思想、信条によって多岐に解されている


  



  



仁和寺・・888年に宇多天皇が開き、代々皇族が住職を務めた門跡寺院。以来明治維新
        まで皇子皇孫が門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ親しまれてきました


  
               左右に金剛力士を安置することから二王門と呼ばれています(重文)


  
世界遺産    




国宝 金堂・・・仁和寺が再興されたとき、京都御所の紫宸殿を移築し本堂とした

  

五重塔・・各層の屋根の大きさが同じという江戸期の特徴を示す

  
中門をくぐると、右に五重塔、正面に金堂です



妙心寺・・・約10万坪の境内に46の塔頭が立ち並ぶ。三門、仏殿、法堂、大
         方丈などの伽藍が直線状に並び、そのほとんどが重要文化財。


  



  



  



  

禅寺の落ち着いたたたずまい 参観

  

退蔵院                                 

   



  
                              佳春院